blomst’s blog

しりとりブログです。

海は広い。当たり前だけど真っ先に思い浮かぶのは広い、でかいといった漠然なものだ。
深い深い海の底には綺麗な魚、貝が潜んでいる。
さらに奥深くへ行くと奇妙だがどこか愛嬌のある深海魚たちが悠々と暮らしている。

我々を見ると「おっ、やばい!」ではなく「あれ、誰か来た。どうぞごゆっくり。」とマイペースに歓迎されそう。

マイペースな深海魚いいなぁ、なにも考えず、ふやふやと揺蕩って、飽きたら寝る、腹が減ったらなにか食べる。
疲れたら寝る、やなことあっても「まあいいか」「そんな日もあるさ」って互いに軽く励まし合って笑って元通り日常を過ごす。
彼らは嫉妬や妬みといった感情がない。という勝手な想像をしている。

そういえば、海の底といえば、浦島太郎の竜宮城は深海何メートルだろう。
乙姫様も、ヒトの姿をしているけど正体は何だろう。ヒトなのかフジモト(崖の上のポニョのお父さん)みたいに元人間なのか。
それとも魚なのか。魚だとしたらヒトの姿に化けることができる水の世界に暮らす妖怪といった類いなのかもしれない。

ジュールヴェルヌの海底二万里の世界もワクワクする。

海の底にある世界もまた一種の宇宙みたいだなぁ。
これから日本や世界の技術が発展して、ノーチラス号のような潜水艦が発明されたら乗りたい。乗って船長気取りになって、窓越しに魅惑的な水の世界を覗きたい。
我が身に起こる何もかもを無視して縛りから解放されて、とにかく無邪気になれたらどれだけ幸せだろう。

 

東京

摩訶不思議な世界。

小さい面積にあらとあらゆる人間が密集して暮らしている。

銀座、六本木を除けばハイブランドが入っている高級百貨店やホテルが並び、ウインドウに飾られてるドレスが大人の余裕を表している。
正に大人の街。

 

渋谷、原宿に行けば若者の街らしく賑やかでガチャガチャで、ギャルからロリータ、パンクロックなどのサブカルチャーの宝庫。そんな街は子供と大人の間で生きていたい人達が集まっているのだと思う。

自分自身は地方に住んでいるため東京を知り尽くしてる訳じゃないから、ざっくりとした想像でしか書けないけど、東京かっけーって行く度に思う。

地方出身から見れば、東京は「許される場所」なのかなと思ったり。
だって一番個性出せるじゃない。原宿のロリータ、カワイイ文化がその例。
ギャルは地方にも普通にいるし、学校の中でもある意味個性を出せる。


田舎の人たちから見たら受け入れられにくい「奇抜な格好」も、原宿は皆互いの個性を認めてる。
そんな個性を表したい。発揮したい、今一番輝いてる自分を見せたい!って人達が行くのかもしれない。

私はまだ未熟者だから、自分世代の視点からでしか書けなかった。

けど、これから何年何十年生き、東京に気軽に遊びに行くようになったらそれはそれで新たな魅力を見つけられるのではないかと未来の自分に淡い期待をしている。
そんな今の自分のために、たくさんの事を学び経験して感じ取っていきたいなあ。

マント

ヒーローを表す重要なアイテム。
アンパンマンガッチャマンと言った馴染みのあるヒーロー、僕のヒーローアカデミアも現代のヒーローの1つ。どの時代にも、時代を表すヒーローが必ず生まれる。

そういえば、なぜヒーローはマントを羽織るようになったのか。

ヒーローのマントは何かと有能。その布を選ばれし者がふっと飛び上がると、それは蝶の羽のようにひらりと優雅に舞う。

そう、飛べるのだ。

昔のヒーローは殆どが飛べる。
人々にとって未知の世界であり誰もが1度は望んだであろう“鳥のように空を飛ぶ”事を。
その願いをヒーローのマントに託したのであろう。

それに対して、現代のヒーローはそれぞれの秀でた能力やメカを操り自信の“力”を伸ばす。
実際社会の教育方針も徐々にだが、“皆と同じ”ではなく“自分の得意を伸ばす”意識に移りつつある。

ヒーローはこうして時代を反映して日々進化している。

IT化が進み生活がより豊かになった未来のヒーロー像はどのように変化しているのだろう?
敵は?自我を覚えたAIと戦うのか。それともそのAI自体が新たなヒーローとして登場するのか。
だとしたら、そのヒーローは機械である。
マントなんて必要ない。
長年ヒーローのアイコンであったマントをなくした羽を無くした鳥状態のそれをヒーローと呼んでいいのか。
呼びたくない。信じたくない。

将来なくなる職業の項目にヒーローを入れたい。

 

胡麻

胡麻って良い香りする。
あの芳ばしい香りは田舎の家がよく似合う。


夏休みとかに会いに行くとしわしわ顔のおばあちゃんが
「暑かったねえ、おにぎり作るから待ってな」
なんて言って、おかってに消え、これまたしわしわの手でおにぎりを握ってくれるおばあちゃん。
具材は昆布か塩。そして海苔を炙っておにぎりに胡麻を散らしてパリパリに焼けた海苔を巻いて畳の部屋で礼儀なんか無視してもりもり食べる。
そんなおやつの風景が目に浮かぶ。

実際やりたい。

 

胡麻の存在感が薄い文章になってしまったあ。
それでもいいか。

そういや、胡麻の種類ってどのくらいあるのかな。
黒ごま、白ごま、練りごま?しか思い浮かばない。
あと大戸屋のごまめしお

りんご

りんごはカメレオンだと思う。
人類の誰もが愛する果実であり、人類と共に長い時を過ごしてきた貫録がある。

我々人類の祖先であるアダムとイヴは禁断の果実と忠告されたりんごを食べたことで、ヒトはオスとメスに分類された。

アイザックニュートン万有引力の法則発見のきっかけはりんごが木から落ちたことから。

昨今の暮らしに欠かせなくなったiPhoneの産みの親、スティーブ・ジョブズが創設した企業名はAppleといい、製品全てにはりんごのマークが、会社のシンボルマークが刻印されている。

 

りんごをさまざまな視点から覗くと異なる表情を見せて魅せてくれる。

時には可愛いく。ハローキティの大好物として可愛いアイコンの1つになっている。

時には官能的に。最初に書いたアダムとイヴのお話や、密、飴、お酒と食材として飲み物として様々なものに七変化するそれは艶やかで色っぽい我儘な女王様に振り回されてる気分になる。
振り回されてるのに憎めない。
だからりんごは長く愛されるのだ。

りんごは怖い。デスノートの死神リュークは月から貰ったりんごを気に入り作中でガリガリ食べる。天才探偵Lに隠して送った挑戦状には「えるしっているか、しにがみは、りんごしかたべない」と書いた(書かせた)
白雪姫では、美しい姫を妬んだ継母が魔女になりすまし毒りんごを美しい姫に食べさせて殺してしまった。
タロットカードや占星術、占い系でも、りんごは負のカードの住民が好む食べ物として挿し絵の端に書かれている印象がある。実際にタロットカードを嗜んだ事がないのでこうとは言い切れないが...


我々人類とりんごは切っても切れない関係になっているのだ。

りんごさん、これからもよろしくね。
そして我々の成長を見守ってください。
私は全身全霊頑張ります。

みどり

みどりは落ち着く。

音の響きが気持ちいいし、色を表すのにぴったりだ。
そして、森とか草とか絵でも写真でも辺り一面に広がると胸がふわっとなる。

溜まっていたモヤモヤが浄化されるような、スッキリした気持ちになれる。

明るくても濃くても深くても全てが「みどり」らしいなと感じる。
青も同じ理由で好きだ。

これは持論だけど、赤や黄色の明るいトーンと濃いトーンを比べると同じ色彩でも別のものに見える。
同じ「赤」だけど違う色に見えてしまう。

それだけ自分は緑と青を贔屓してる。

緑の中でもジブリの風景で出てくる緑が特に好きだ。
トトロの森、もののけ姫のラストシーンの自然風景、魔女の宅急便でのキキの実家の薬草、アリエッティの小人目線で見る自然の躍動感...
よく考えればもっと出てくるだろうけど、パッと出てきたこれらの風景が自分の求める緑の姿なのだろう。きっと。

 

自分の生活からみどりは切り離せない。

 

 

ぬいぐるみ

しまじろうが大好きだった。
過去形だったのは現在本体の行方が分からなくなっているから。

家の何処かにいるのは確実だが、探そうとしないので私はしまじろうから、しまじろうは私から互いに卒業したらしい。

こどもちゃれんじを取っていた人には馴染みのあるトラのキャラクター。

私が長年共に過ごしたしまじろうは2代目らしい。1代目はこどもちゃれんじで付いてきたしまじろう。
2代目は叔母がネットオークションで新品中古を買ってくれた物だと親に説明された。

それよりも新品中古という謎の言い回しが引っ掛かる。新しく開封していないからオークションに出品したから言葉は間違っていないが、違和感をかんじる。

幼稚園から中学生辺りまで一緒に過ごした唯一思い入れのあるぬいぐるみ。


そんなしまじろうは人目で自分のと解る特徴が2つある。

1つは、鼻が欠けている。
母親いわく「小さいときにあんたガジガジ鼻かじってたよ」とのこと。
「食べちゃいたいくらい可愛い」を幼い私は実行していた。

もう1つは、しっぽに切れ目がある。
何歳だったか覚えてないが当時再放送していた「Dr.コトー診療所」というドラマにはまっていた。
離島に唯一いる医者と島民との触れ合いを描いたドラマであり、見ていてほっこりしたりハラハラしたりと大好きなドラマだった。
毎日見ているうちに、ごっこ遊びが好きだった私は「お医者さんごっこ」と生じしまじろうを患者に見立て「オペを始めます」といい放ちサクッと尾にメス(ハサミ)を入れた。
そしてきちんと(?)縫合作業までしたらしい。
当時の自分の行動力は謎である。本当に楽しかったのかそれ。
とりあえず当時のしまじろうに謝っておこう。ごめんね。

そんな感じで今1番印象に残るぬいぐるみ、しまじろうについて書いてみた。

大人になった今は、ぬいぐるみなんて買う機会がない。
だがいつか、しまじろうのような愛情を注げるぬいぐるみに巡り会いたい。